[オードリー]若林の父が死去する前の思い出と意外な職業を紹介!

今ではテレビで見ない日はないぐらい有名になったオードリーの若林さんですが、実は父親はすでになくなっているんですよね。
そのお父さんとの思い出エピソードが素敵だったので紹介させていただきます!
また若林さんの父の職業が超意外な職業だったので合わせて紹介していきますね。
オードリー若林さんの簡単プロフィール紹介
まずは皆さん知っているとは思いますが、簡単に若林さんのプロフィールをまとめていきますね。
自分を乗り越えていけ!
運命を変えるんだ!
オードリー若林pic.twitter.com/ubpMvaPPYt— 芸能人の元気が出る言葉 (@geinou_genki) 2019年2月18日
若林 正恭(わかばやし まさやす)さんは、1978年9月20日生まれの現在40歳で、東京都中央区出身です。
若林さんが40歳と知って、見た目以上の年齢にビックリしました。
ケイダッシュステージという事務所に所属し、お笑いコンビ「オードリー」でツッコミを担当しています。
相方は、皆さんご存知の春日俊彰さんですね。
私は若林さんの身長って結構小さいと思っていたのですが、意外と169cmありました。
2000年に春日さんと「ナイスミドル」というコンビを結成しデビューしましたが、2005年に「オードリー」に改名しました。
私は、元々コンビ名を変更していたなんて、初耳で驚きでしたね。
『M-1グランプリ』2008に出場し、準決勝進出で一躍有名になりました。
若林さんと言えば「人見知り」だということが有名でしたが、お笑いだけでなく舞台の主演や映画に出演したりという役者としての活動や、歌手や作家としてもデビューしてます。
他にもバラエティ番組での司会などでも活躍されていたりと、その活動の幅は広くてすごいですよね。
私は、若林さんのツッコミやトークは面白いの好きですね!
若林さんの父が死去する前の思い出
実は若林さんは、2008年末頃までお父さんと絶縁状態だったようです。
絶縁状態だった理由は、若林さんがまだ売れない芸人だったときに定職に就かずに芸人を続けていたことが原因でした。
親の立場になれば、定職についてもらいたい気持ちもわかりますよね。
若林さんは父親から、芸人を辞めて定職に就くか、家を出て芸人を続けるかを迫られたため、家を出て芸人を続けることを選んだようです。
そして、2008年末に準決勝に進出したM-1グランプリで、オードリーはエントリーナンバーが「4431」でした。
若林さんのお父さんは阪神タイガースファンで、「4431」というエントリーナンバーをランディ・バース選手の背番号44と掛布雅之選手の背番号31を合わせたものと思い込み、感動したんだとか。
このお父さんの勘違いがきっかけで、若林さんとお父さんとの仲は修復していきました。
お父さんの勘違いだったそうですが、仲直り出来てよかったですよね!
その後、お父さんは病院で1年半の入院生活の末、2016年4月になくなったそうです。
若林さんはお父さんが入院していた1年半の間、仕事と病院の往復を繰り返し、常にお見舞いに行っていたようです。
きっと若林さんも仕事が忙しかったはずですが、お父さんのことが大好きだったんですね。
若林さんは、お父さんがなくなってから、ラジオ番組内で以下のようにコメントしています。
「芸人は親の死に目に会えない」みたいなこと言うけど、そんな感傷はあまりなかったのよ。
若林さんは悔いの残らないように、やれることをちゃんとやっていたんだなと、私は関心しましたね。
若林さんの父親の超意外な職業
若林さんのお父さんは、昔フォーク歌手だったようです。
プロからのオファーもあったそうで、かなり実力のある歌手だったことがわかりますよね。
歌ヘタで有名な若林さんからは、歌ウマなお父さんの姿が全く想像出来ませんね。
ちなみにお父さんの職業というのは、これと行って特にないようです。
というのも、若林さんのお父さんは仕事が長く続かない人だったため、お父さんの職業はこれ!というのがないのです。
若林さんに「芸人を辞めて定職に就くか、家を出て芸人を続けるかを迫った」という話から、私はてっきり若林さんのお父さんは何十年も同じところに務めて真面目に働いているのかと思っていました。
自分の経験から、息子には安定した職で働いてほしいって思ったんでしょうね。
若林さんは、安定した職というわけではありませんが、売れっ子芸人に落ち着いたのでお父さんもきっと安心していることでしょう。
まとめ
若林さんのお父さんの職業が歌手って、かなり意外でしたよね。
また若林さんとお父さんは、不仲な時期もありましたが、最終的にはかなり仲良し親子になってよかったです。
これからも若林さんはまだまだ活躍していくと思うので、また素敵エピソード期待しています!